壁画は地域に溶け込む コミュニケーションツール

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column 17

ミヤザキ ケンスケ

December 15, 2016

舞台は世界。そして、キャンバスは街中、僻地、スラム街。ミヤザキケンスケが主催する「オーバー・ザ・ウォール」は、壁画を通して地域と、人と繋がるプロジェクト。世界各地に壁画の輪を広げている。

 

「現地の人々と仲良くなりたいというのが念頭にありました。自分が絵を描くだけでなく、その絵を通してコミュニケーションしたい。どうしたら良いのか。その答えが壁画だったんです」

 

何かを表現したいという気持ちとは、少し角度が異なるモチベーションだ。ミヤザキにとって壁は、単純な大きなキャンバスという存在ではない。
壁画を描く際、滞在期間は2、3週間くらいのこともあれば、長い時には数ヶ月に渡ることもあったという。ストリートカルチャーの印象が強く、壁画にどこか自由気ままなイメージを抱いていたが、実際はその真逆なのだとミヤザキは言う。

 

「実はハードルが高いんですよ。見ず知らずの国の人がやって来て、公共の壁に大きな絵を描く。これは十分に信用されないと実現できないことなんです」

 

初めて本格的に壁画を手掛けたのは、ケニアのスラム街。ミヤザキは描きたいものを描いた。そのモチーフは空想の生き物、ドラゴンだった。見た目が怖そうなその絵に、地域の人々は距離を置く。大人はもちろん、子供さえも声を掛けてこなかった。

 

「普通だったら子供たちが『何を描いているの?』というように興味を持って話しかけてくれるんですが、それが全くなくって。そこで子供たちに何を描いてほしいか聞くと、ライオン、バオバブという声があがったんです」

 

現地の人々にとって好きなモチーフを描くのと同時に、ミヤザキは彼らに制作に協力してもらい、筆も入れてもらうことにした。壁画は描いておしまいではなく、ずっとそこにあり続けるもの。だからこそ、これからもその場に暮らし続けていく人々に愛してもらえるようなものにしたいのだと考えた。

現在、壁画の作成にはワークショップを取り入れ、制作に協力してもらうだけでなく、より地域と結びつきが強くなるよう、現地の人々との接点を積極的に作っている。こうしてミヤザキ流のスタイルができあがっていった。

ミヤザキが生まれ育ったのは佐賀の市内。この日、日本に滞在中のミヤザキとともに、佐賀の思い出の地を巡ることになっていた。
待ち合わせの場所は堀端西通り。佐賀城跡のお堀の周りに整備された通りだ。お堀の向こう側の敷地には「佐賀県立博物館」や「佐賀県立美術館」があり、文化的な香りが漂う。現在、お城そのものの姿を見ることはできないが、周りをぐるりと囲むお堀は今もしっかり残っていて、のんびり散歩をする人々、涼しそうな顔で浮かぶ水鳥によって日々親しまれている。
お堀の傍に腰をおろし、スケッチブックに向かって絵を描く人の姿を見つけた。ミヤザキだ。早めに到着し、絵を描きながら待っていたのだという。

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小学生の頃に何度も通ったお堀でデッサン中

 

「ここからすぐの場所に実家があるんですよ。この辺りは学生時代の通学路なんです。特に小学校は城跡の中にありましたからね。この風景はとても鮮明に覚えていますよ」

 

スケッチブックには色とりどりのクレヨンによって、初夏のお堀がカラフルに描かれていた。緑の濃い葉っぱを茂らす街路樹、キラキラと太陽の光を受けて輝く水面、たくましく育ち、その勢力をぐんぐんと伸ばしていた蓮の葉————絵から伝わってくるのは自然の生命力。その景色に幼少期のミヤザキを想像し、重ねてみた。

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今は舗装されているが、足元の道は元々、岩がごろつく道だった。途中に駄菓子屋があって寄り道をしていた。お堀には雷魚やナマズ、鯉がいた。そんな具合に、ミヤザキと一緒に歩いていると、当時の様子をいろいろと教えてもらえた。 特に興味深かったのが“ブタの鼻”のエピソード。これはお堀の傍にあった通路のあだ名で、その名の通り、ブタの鼻のように見えたので近所の子供たちから自然とそう呼ばれていたのだそうだ。

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ブタの鼻には現在、中に入れないように鉄の柵が施してあった

ミヤザキ曰く、通路は入口から出口まで10mほどの距離があり、その途中はぐねぐねと曲がっているという。

 

「光が頭上から差し込む場所があり、その光を頼りに先に進んでいました。途中に白骨があったというようなウワサも流れていたんです。ランドセルを背負って入れないくらいの狭さも手伝って、まさに冒険の世界でしたよ」

 

歩いているうちにお堀から城内へと入る路地に着いた。ここでもまた一枚、ミヤザキは目の前の景色を描く。一面に広がる蓮の葉は、水面の鏡としての役割を奪い取り、その代わりに草原のようだと表現したくなる緑の絨毯と化していた。

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絵を描いている時のミヤザキは表情こそ真剣だが、声を掛けにくいような雰囲気はない。常に開いているような、そんな自然体だった

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小学5年生になった頃、石畳は舗装され、通学路の趣は変わったのだという。ただ、途中の木になっていたサクランボを食べたり、ツツジの花の蜜を吸ったり、ミヤザキにとって、楽しみが尽きない存在であり続けた。

 

「そういえば、ミヤザキ家では朝食のあと、このお堀の周りを走るという習慣がありました。贅沢ですよね、ランニングコースが家のすぐそばにあるなんて。考えてみると、かつての城内に学校があるというのも贅沢。武士のような、誇らしい気持ちになれましたから」

 

小学校を卒業し、中学に進んだミヤザキは、サッカーに夢中になった。ただ、高校に進学する際、人生を見つめ直す。

 

「それまでサッカーに没頭していました。ただ、将来、プロになれるわけでもないなと思うと、もっと違うことに夢中になったほうが良いと思えたんです」

 

そこで思い出したのが絵の存在。幼い頃から、絵が大好きだったので、高校では美術コースに進むことを決める。ところが、待っていたのは強力なライバルたち。美術専門のコースだけあり、周りは腕に覚えがあるという本気の同級生ばかり。

 

「とんでもないところに来てしまったと思いましたよ。クラスに男はたったの6人しかいないし、その上、彼らは同人誌、漫画をこよなく愛する“オタク”ばかり。全く話も合わず、仲良くなれませんでした。それでしばらく絵を描いていない時期がありました」

 

そんな高校生ミヤザキに転機が訪れた。 

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<続く>

 

(edit.山田祐一郎)

DATA
堀端西通り、堀端南通り、本丸通り
住所 佐賀県佐賀市城内界隈

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