肥前名護屋城の3大パワースポット

肥前名護屋城の3大パワースポット

column 09

田中秀樹

March 04, 2017

佐賀県には二つの特別史跡がある。特別史跡とは「史跡のうち学術上の価値が特に高く、わが国文化の象徴たるもの」で日本全国に61箇所しかない、まさにスペシャルな史跡である。

2つの特別史跡は唐津市にある肥前名護屋城と神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里遺跡だ。
※福岡県にまたがっている基肄(きい)城跡も特別史跡なので厳密には3箇所。

47都道府県で特別史跡が一つもない場所もあるので、特別史跡が2つもある佐賀県はスゴイのである。肥前名護屋城は、420年前の豊臣石垣がそのまま残っていることや全国の戦国武将が一堂に介した場所など、その価値に反して知名度がものすごく低いので、そのギャップを埋めるべく、私は唐津市の地域おこし協力隊として肥前名護屋城の広報に特化して活動している。

地元の小学生をバーチャル名護屋城でご案内

その特別史跡である肥前名護屋城には知る人ぞ知るパワースポットが3つある。
名付けて「肥前名護屋城三大パワースポット」。

3つのパワースポットの一つは「割れない石」、一つは「太閤の井戸」、そして最後に「三股の木」。最初に紹介する「割れない石」は、いわば「割れなかった石」だ。

いまでも肥前名護屋城には約420年前に築かれた立派な豊臣石垣が残っている。石垣をつくるには、大きな岩から石を適当な大きさに切り出さなければならない。その石を切り出す作業として岩にミシン目のように穴を穿ち、そこに鉄の矢を打ち込んでいく。

中央右にあるのが鉄の矢

肥前名護屋城跡には、その鉄の矢が穴に残っている石がある。なんと約420年前の鉄の矢がそのまま残っているのだ。おそらく石が固く、鉄の矢が折れてしまったのだろう。石工の技術をもってしても割れなかった貴重な石、それが「割れない石」だ。

石と同化しつつある約420年前の鉄の矢

ミシン目のように穴があいている割れない石

割れない石は「ご縁が切れない」という意味で密かにパワースポットとなっている。
馬場下の石垣のところに崩れた石があって、その中に「割れない石」は存在する。
肥前名護屋城に来た際は、ぜひ「割れない石」を探して触って欲しい。

二つ目は太閤井戸だ。ここ名護屋で太閤といえば豊臣秀吉公のことである。
その太閤秀吉公が掘らせた井戸が台所丸という場所にある。
台所丸はその名のとおり、肥前名護屋城の台所にあたる場所である。

表示板の下部が肥前名護屋城図屏風

この太閤井戸がスゴイところは、名護屋城を知るうえで最も貴重な資料の「肥前名護屋城図屏風」に描かれてある井戸と現在の井戸の位置が一致するのである。

簡単に言うと420年前に使っていた井戸が、そのまま残っているということだ。

一時期、明治神宮にある加藤清正公が掘らせたという「清正井戸」がパワースポットとして話題になったことがあった。携帯電話の待ち受け画面にすると運気が良くなるということらしい。

実際にご利益があったかどうかは知らないが、その清正公の主君である秀吉公が掘らせた井戸ならば、清正公の何倍ものご利益があるに違いないと思っている。
肥前名護屋城にお越しの際は、ぜひ太閤井戸を撮影してスマホや携帯電話の待受画像にして頂きたい。運気アップ間違いなしである。

三つ目は「三股の木」だ。

左からムクノキ、クスノキ、タブノキ

画像を見ていただくと一目瞭然、ムクノキ、クスノキ、タブノキが同じ場所から仲良く生えている。

肥前名護屋城は「朝鮮の役」といわれる、日本軍が朝鮮出兵し、明・朝鮮連合軍との戦さのために造られた城だ。その城跡に三つの異なった樹木が、仲良く生えているのは、現代における三カ国の平和の象徴ではないかと思っている。

いずれにせよ、樹木が仲良く共生している姿は珍しい。

「三股の木」が生えている場所は肥前名護屋城の搦手口(脱出口)の近くである。城の玄関といえる大手口の反対の場所にある。そういった意味からも貴重な場所ではないかと思っている。お時間のある方はぜひ訪れてほしい

DATA
名護屋城跡
住所 佐賀県唐津市鎮西町名護屋

http://hizen-nagoya.jp

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