しっかりと基礎を身に付けた大切な時間。

しっかりと基礎を身に付けた大切な時間。

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吉岡 徳仁

January 13, 2016

小・中と佐賀市内の学校に通った吉岡は、有田焼で知られる佐賀県西松浦郡有田町の「佐賀県立有田工業高等学校」(以下、有田工業) デザイン科に進学した。

 

吉岡が高校時代を過ごしたのは1983から1985年にかけての3年間。デザイナーといえば、ファッションデザイナーというイメージが強く、日本のデザイナーが世界で認められはじめた時期でもあった。

「当時は、工業デザイナーはまだ一般的ではなく、デザイン全体を見ても、決して恵まれているような時代ではなかった」

 

工業デザイナーを志す人が学ぶための学校もほとんど存在しない。そんな中、美術と建築に関する総合的な教育を採用していたドイツの学校「バウハウス」に倣い、デザイン科を設立していたのが有田工業だった。

デザイン科がある高校自体、全国でも珍しく、「佐賀や九州でも数えるほどの学校しかなかった」と吉岡は振り返る。

 

デザインを学ぶ学校に行ける———それは吉岡にとって、夢のような状況だった。とはいえ、ただの天国ではない。

「デザインに没頭した。もちろん、楽しいことばかりではない。とても大変な作業もあった」

あまり遊んだ記憶がなく、課題に追われる毎日だった。

「それでも楽しかった。デザインの基本を徹底して繰り返したことで、しっかりと基礎を身に付ける大切な時間となった」

 

そんな高校時代の体験があるからこそ、吉岡はアイデアに行き詰ると、必ず基本に立ち返るという。

紙やストロー、そして結晶など、吉岡の作品には、私たちの身の回りにある素材が多々取り入れてあるが、それらもまた、「基本に立ち返る」ことによって生まれた作品だ。

 

グラウンドの向こうに残る当時の思い出の校舎。

グラウンドの向こうに残る当時の思い出の校舎。

 

ちなみに、有田工業は、1871年に日本初の陶磁器産業の技術者養成機関として設立された「勉脩学舎」をその前身としており、「佐賀県立有田工業学校」として開校したのが1903年。現在、セラミック科、デザイン科、電気科、機械科の4つの学科がある。陶磁器デザイナーの森正洋氏も同じ高校出身者だ。佐賀から世界に通用するデザインを生み出した人材を輩出している。

 

2015年の秋、吉岡は卒業ぶりにそんな母校を訪問した。正門から、周囲を見渡す。

「あれ、これじゃないな。もっと黒かった。」

目に映ったのは、吉岡が卒業した後に建てられた校舎だった。卒業から30年経っていたので、吉岡自身の記憶も曖昧で、その言葉には少し戸惑いがある。

 

グラウンドをぐるりとまわって、テニスコートの向こう側に、現在は使われていない当時の校舎を見つけた。吉岡の目が輝く。そして、一人、しばらくその建物を眺めた。

「木造部分の校舎は壊され、新しい校舎になっていたが、デザイン科の校舎はコンクリートづくりだったから、本当に当時のままだ。印象は全然変わらない」

 

外の木を眺めていた教室の窓。(c)吉岡徳仁

外の木を眺めていた教室の窓。(c)吉岡徳仁

 

その日は土曜。生徒たちは部活に勤しんでいた。ちょうど旧校舎近くで練習していた吹奏楽部の生徒たちに吉岡は声を掛けてみた。彼女たちはデザイン科の生徒だという。

吉岡が将来の夢について尋ねると、一人の女子生徒がすこし戸惑いながら「…デザイナーです」と答えた。その言葉に対し、吉岡は「がんばってください」と伝えた。言葉こそ短かったが、その目はやさしく、思いがけず求められたサインにも、笑顔で応えた。

 

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部活の吹奏楽にも励む未来のデザイナー。

 

後日、その時のやりとりについて吉岡に話を聞いた。「がんばってください」という短い言葉の理由について、吉岡は「デザイナーには正解がない」と説明した。デザインにおけるやり方や方法は人それぞれ。そのため、簡単にアドバイスはできない。だからこそ、「がんばって」のひと言に尽きるのだ、と。

デザイナーだけではない。人生において、どこを目指すのかは人それぞれで、“どこまでできれば良い”という基準も本人が自分自身で決めるものだ。

いつかデザイナー同士、言葉を交わせる日が訪れてほしい―—吉岡のサインにはそんな想いが込められているように思えた。

 

(edit.山田祐一郎 / 2015.11.03)

佐賀県立有田工業高等学校

http://cms.saga-ed.jp/hp/aritakougyoukoukou/

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