記憶の風景を探しに – 35年前に釣りをした池は実在するのか?

記憶の風景を探しに – 35年前に釣りをした池は実在するのか?

column 05

馬場 正尊

February 17, 2016

僕は中学生のころ、ルアーフィッシングにはまっていた。自転車で竿を担いで、友達と一緒に魚がいそうな池やクリークを探し、転々と移動する。魚の気配がする水辺に出くわすと、ルアーを水面に向かって投げ込む。当たり前だが当時はスマートフォンもないから、すべて行き当たりばったり。気の向くままに佐賀の水田地帯を自由に駆け抜けていた。

 

夏休みにはそれを延々と続けていたような気がする。
ヒマだったんだな。

 

そんなある日、幻の池に出会う。
神埼あたりでいつものように、自転車で水辺を探してうろうろしていて、山の麓に大きな堰を発見する。周囲には木々がうっそうとしていて、まるで主がいそうな、そんな雰囲気が漂っている。
僕ら仲間たちのテンションはあがり、すぐさまルアーを水の中に放り込んだ。すると今まで見たことがない小ぶりな魚が、次から次へと、面白いように釣れた。僕らは夢中になって池の様々なポイントで多くの魚を釣り上げた。
でも家から遠すぎて、その幻の池には一度しか行けなかった。35年以上前のことなので、それが確かな記憶なのかも自信がない。もしかすると、夢だったのではないかという気もしていた。

 

ただその風景の印象は、僕の頭の中にかなり強烈に残っている。

 

実は、今回の旅の目的の1つが、その池がどこだったのか、そして記憶は本物だったのかを確かめることだった。そこでもう一度釣りをしたい、できれば息子と一緒に。あのときの釣りの興奮を共有したい、そんな気持ちもあった。

 

大人になって車という移動手段も手にした。GoogleEarthという新しい視線も手にして、それらしい水面を空から探すこともできる。

baba04_01l

GoogleEarthで探索して見つけた、それらしい水面。

ぼくは、確かこのあたりではなかったかというおぼろげな記憶を頼りに、GoogleEarthでだいたいこのあたりだっただろうと目星をつけた。

 

35年も経過しているので、それを見つけることができるのか、かなり自信がなかった。もしかすると地形が変わってしまっていたり、埋立てられていたとしても不思議ではない。それに、そんなものに家族を付き合わせて空振りだったらどうしようという不安な気持ちでいっぱいだった。魚が釣れると聞いて、息子はずいぶん楽しみにしている。見つからなかったらがっかりさせてしまうだろう。

あっさり見つかった、35年前のぼくの幻の池。

しかしその風景は、意外とあっさりと見つかった。35年前に僕が発見した時のような妖気はずいぶん薄らいでいるように見えたが、独特の空気はまだ残っていた。

 

GoogleEarthや車を使って発見するのと、自転車に乗って自分の目と勘だけで発見するのでは、出会った時のインパクトがずいぶん違うのだろう。そのような意味で、実はいろんなことが便利になったことで、感情の起伏を少々失ってしまったのかもしれないと思った。

 

しかし充分だ。
問題は、そこにまだ魚はいるのか、ということだ。

 

(edit.馬場正尊 / 2015.07.25)

 

[次号へつづく]

ページ上部へ