40年前のあの訪問が再びこの地へと誘った。

40年前のあの訪問が再びこの地へと誘った。

column 08

岡 康道

April 05, 2016

九州佐賀国際空港に降り立った岡と共に、一路、佐賀市内の中心地へと向かった。目的地は「佐賀市大隈記念館」だ。
「2歳の頃に東京へと引っ越したけど、生まれは佐賀です。2歳までだからほとんど記憶はないけど、佐賀が故郷だと思っています。」

oka01_01l

大隈記念館の外観。春には、立派な桜も咲く。

そんな岡にとって、ここはとても思い出深い場所だ。「佐賀市大隈記念館」は内閣総理大臣を2度務めた稀代の政治家であり、早稲田大学の創設者でもある大隈重信侯の生家の隣にある資料館。誕生125年を記念して昭和42年に開館した。ガウディに影響を受けて建てられたという威風堂々とした建物は、大隈侯が持つ“どっしり、動かざる姿”をイメージしたそうだ。ファサードは大隈侯の顔がモチーフらしい。2015年2月、内外装を一新。リニューアル後も、大隈侯の生涯に渡る功績を伝える貴重な資料が展示されている。

 

岡も早稲田大学出身であり、実はこの記念館とはおよそ40年も前から縁があったのだという。

「早稲田大学に合格したとき、ばあちゃんに大隈さんにちゃんと挨拶をしてこいと言われて、東京からひとり訪ねたんです。昭和51年の春のことです。」

 

そして当時住み込みの管理人さんに「わざわざ挨拶にくるとは大したものだ!」と、岡はお昼ご飯をごちそうになったのだという。そんな心あたたまるエピソードのある場所だ。

 

記念館へと足を踏み入れた岡の動きが一瞬止まった。「あれ、ここに大きな写真があったような」

oka01_02l

エントランス正面、階段の上には40年前は大隈侯の写真が飾られていたらしい。今は愛用したガウンが展示されている。

中に入るまではあやふやだった記憶に彩りが広がり、同時に岡の目は輝きを増していく。案内をしてくれた館長とのやりとりにおいても、声が弾む。

 

大隈侯は演説の名手であり、手元に原稿はなく、全て頭に入れていたという。岡が館内で流れるその肉声に耳を傾けていると、「大隈侯は二十歳くらいから字を書かなくなったんです。学生時代にどうしても字の上手さで勝てなかった友人がいて字を書かなければ負けないとおっしゃって書くのをやめてしまい、それ以降、勉強は暗記を駆使されたそうです。だから、たった一つの例外を除き、残っている関連文書はすべて口述筆記なんです。頭の中に全て入っていたから、演説においても名手となられたんですよ」と館長が教えてくれた。その言葉に何度も頷き、再び肉声を噛みしめるように聞いていた。

 

実は館長もまた早稲田出身者で、1を聞けば10が返ってくるという具合に、大隈侯に関するとてもマニアックな知識を披露してくれる。「〜あるんであるんである」という他に聞かない独特の言い回しを好んだこと、若かりし頃の大隈侯のファッションが長崎で流行ったこと、「佐賀の乱」についての見解など、様々な観点から大隈候にまつわるエピソードを教えてくれた。
法学部出身である岡自身はその場その場で質問を投げかけ、時折、館長とのトークセッションが生まれ、充実した時間になったようだ。

oka01_03l

記念館隣の生家の2階。眠気覚ましに柱から出っ張った梁に額をぶつけて、勉強していたらしい。すごい。

大隈記念館の隣にある大隈重信旧宅は天保(1830〜1844)以前の武家屋敷の面影がしっかりと残されていて、国指定の史跡とされている。江戸時代に佐賀で重んじられた武士の心得「葉隠」の質素倹約という教えから、この建物に大黒柱はなく、一つひとつの柱がかなり細いものとなっている。また刀がふりまわされないよう、天井が低く作られているなど、随所に工夫があり、興味深い。

 

急な階段をあがり、2階も見学した岡に、館長は「この大きな窓、位置が高いでしょう。これは勉強中に外の景色を見て気が散らないようにという思いからなんですよ」と教えてくれた。

oka01_04l

40年前階段上に飾られていた大隈侯と記念撮影。

「改めてこの場所を訪れて良かった。大隈候のことが今まで以上に深く知れたし、意外な人物像にも触れられました。」
岡の表情は晴れやかだ。その心は、青年の頃に戻っていたのかもしれない。

 

(edit.山田祐一郎 / 2016.01.30)

住所 佐賀市水ヶ江2-11-11
電話 0952-23-2891
開館時間 9:00〜17:00(入場は16:30まで)
休館日 年末年始
※2016年1月〜2017年2月下旬まで大隈重信旧宅は改修工事につき、見学不可

http://www.okuma-museum.jp

ページ上部へ