さりげない心配りの宿。 無駄に思えることこそ重要だ。

さりげない心配りの宿。 無駄に思えることこそ重要だ。

column 10

岡 康道

August 03, 2016

岡が今回の佐賀滞在で宿泊したのが「嬉野温泉 旅館 大正屋」。大正14年創業の老舗宿であり、佐賀を代表する温泉宿だ。その歴史の長さでも知られるが、同時に日本を代表する名建築家・吉村順三氏が手掛けた作品としても名を馳せている。

 

名旅館ではあるが、全くお高くとまっていないのがいい。宿に着くと、すぐに従業員が丁寧に出迎えてくれる。その物腰のやわらかさが、宿から威圧感のようなものを取り払い、ここを、誰にとっても快適で、ぬくもりのある場所に感じさせるのだろう。「ようこそ、お越しくださいました」。そんな言葉が、従業員の身振り手振り、表情から自然と伝わってくる。岡の表情も自ずとほぐれ、温泉に浸かったかのようなリラックス感に満ちていく。

oka03_01s

トップライトと雁行した形が特徴的なエントランスロビー。

 

「子供がまだまだ小さく、ワンパクだから、こういった高級旅館にはなかなか家族で泊まれないんですよね。そういう楽しみはもうちょっと先かな」

 

とはいえ、仕事の関係で、これまで数々の名宿に泊まったことがあり、その上質を知る。「思い出に残っている宿はありますか」と尋ねたところ、京都の「美山荘」の名が挙がった。その宿のウリが「摘草料理」。ここでは野山で集めた四季折々の野草、山菜が料理の主役に据えられる。「野草というと自然で、どこかやさしい味を想像すると思いますが、素材それぞれの味わいが濃く、力強いんです。生命力を感じるというのか、とにかく感動しました」岡は嬉しそうに美山荘での思い出を語ってくれた。そんな話の中に、岡の宿における価値観が垣間見える。上質でありながらも、さりげない。

 

そういう奥ゆかしさに惹かれるのだろう。そしてそんな宿の在り方が、この大正屋にも備わっている。

oka03_02s

机に組み込まれた化粧鏡やゴミ箱の形、廊下に置かれたソファや天井など、上質でさりげない。

 

岡が宿泊したのは日本庭園に配した1階の和室。部屋に入ると、真っ先に外の庭が目に飛び込んできた。細くシャープな窓枠に、その存在感を完全に消したガラスがはめ込まれており、室内に居ながらにして、開放感を享受できる。部屋を見渡すと、照明、机、ふすま、どれをとってもその空間に似つかわしいものがスマートに溶け込んでいた。時間が経つにつれて、高揚した気持ちがゆるやかに落ち着いていく。

oka03_03s

直接庭に出られる1階の部屋からの眺め。

 

部屋からそのまま庭に出た岡は、大きく深呼吸し、空を見上げた。

 

「本当に立派な庭ですね。自然を近くに感じられる場所は、やはり良いですよ」

 

庭を見て、「無駄こそ重要だと思っている」という岡の言葉を思い出した。例えば岡の人生において重要な意味を持つ映画や本。仮に、映画は観なくても生きていけるし、本を読まなくても命に支障があるわけではない。目の前の庭だってそうだ。必ずしも必要なものではない。ただ、人によっては無駄だと感じるかもしれないものが、豊かさとなり、発想の泉となる。

 

ここ大正屋には「滝の湯」という宿泊客専用の湯船があることも忘れてはならない。湯船の向こう側には手入れの行き届いた庭が広がり、それをガラス窓越しに眺める。当然、温泉の湯気で窓が曇りそうなものだが、温風によってそれを防いでいる。まさに“さりげなさ”の真骨頂だ。

 

(edit.山田祐一郎 / 2016.01.30)

DATA
嬉野温泉 旅館 大正屋
住所 佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙2276-1
電話 0954-42-117

http://www.taishoya.com

ページ上部へ