鯱の門~博物館~体育館、通学路は刺激的な遊び場だらけだった!

鯱の門~博物館~体育館、通学路は刺激的な遊び場だらけだった!

column 36

池田 達也

July 09, 2018

40数年前、私は佐賀大学教育学部附属小学校(以降、附小)に通っていました。
附小の校歌は「鯱(しゃち)のご門がその昔 楽しい夢をみたという」という歌い出しでしたから、校舎の窓から見える鯱の門(佐賀城本丸門)に親近感を感じていたものの、当時の附小と鯱の門の間には佐賀市立赤松小学校(現在は移転)があり、”お城の中の学校”に通う赤松小学校の皆さんを羨ましく思っていました。

鯱の門の周辺には何軒もの民家があり、そこにクラスメイトが住んでいたので、一緒に門前でボール遊びをしたり、石垣によじ登ったりして遊んでいました。国の重要文化財を遊び場にするなんて、今となっては少々恐ろしくすら感じます・・・。

現在は更地となっている天守台には協和館という和風の建物が建っていて、その頃は案内板等も立っていませんでしたから、無知な子供だった私は「これが殿様のお家?」なんて無礼な勘違いをしていました・・・。(協和館は公民館として市民に利用された建物でした。)また、当時の鯱の門は終日閉ざされていて潜る事が出来ませんでしから、開門された鯱の門や佐賀城本丸記念館には感慨深いものがあります。

久々の訪問当日は生憎の雨でしたが、雨に濡れた鯱の門や石垣に風情を感じたのは、自分が歳を取った証なのでしょう・・・。

池田さんが小学生の頃、佐賀城周辺には何軒もの住宅があったそうだ

附小側から歩いて佐賀城の石垣を抜けると佐賀県立博物館(以下:博物館)が目に入ってきます。その異彩を放つ佇まいに当時から魅力を感じていたのですが、こうして時を経て訪れても、流石は日本建築学会作品賞を受賞した建物だと改めて納得させられます。(博物館は1970年に日本建築学会作品賞を受賞)

附小の卒業後は佐賀大学教育学部附属中学校(以降、附中)に進学したのですが、附中は博物館の隣でしたから、中学生になって暫くの間は博物館周辺が遊び場でした。

附中には時折自転車で通学していて、不行儀にも同級生達と博物館前のスロープをBMX(バイシクルモトクロス)のハーフパイプに見立てBMXの真似事をして遊んでいたのですが、所詮は普通の自転車でしたし、運動神経の無い私は転んでばかりでした・・・。

「何度転んだかな〜」と、傘もささずに当時を振り返る池田さん

博物館前から佐賀県庁方向に向かうと、右手に王冠のような外観が特徴的な市村記念体育館(以降、体育館)が現れてきます。
私が小中学生の頃は佐賀県体育館と呼ばれていて、通学路にある建物のひとつとして毎日の様に目にしていました。小学校の図画工作の授業で写生に訪れたり、吹奏楽部の演奏会があったり、家族や友人らと様々なコンサートに行ったりと、当時の私にとっては校舎や博物館と並んで身近な建物のひとつでした。

角が沢山ありますから”かくれんぼ”や”鬼ごっこ”に最適で、小学校の低学年の頃は周囲を何周もしながら遊んでいました。高学年になると”かくれんぼ”からは”卒業”しましたが、お隣の佐賀県立図書館に頻繁に訪れるようになり、夏の暑い日には図書館や県庁周辺の木陰に涼を求めた事も度々でしたから、私の多感な時期は佐賀城公園と共に過ごしたと言っても過言ではありません。

大きな声では言えないが、ここから屋根に登れるのでは?と、何度か挑戦したこともあったという

その後、ミュージシャンとして日本全国の様々なコンサート・ホールやイベント会場を訪れて参りましたが、”佐賀の体育館”のような印象的な外観を持つ施設は全国的にも数少ないのではないかと思っています。

体育館が「肥前さが幕末維新博覧会」のメインパビリオンとして活用されている事を嬉しく思いますし、私にとっては”あの頃へ”誘ってくれる思い出の詰まった建物。博覧会終了後も後世まで末永く残していただきたいと切に願っています。

鯱の門〜博物館〜体育館と当時の私の通学路を辿って参りましたが、如何に刺激と魅力に溢れた場所を通っていたのか、時を超え少年のように心が躍らされます。
あまりに身近過ぎて意識した事はありませんでしたが、私が何のたよりも無いまま東京へ行き”自由業”という特異な世界に身を投じたのは、こんな通学路を通っていたからかもしれません。

text by 池田達也, photographs by 堀越一孝

DATA
佐賀城
住所 佐賀県佐賀市城内2-18-1
電話 0952-41-7550
営業 9:30〜18:00
休館日 12月29日~31日

http://saga-museum.jp/sagajou/

ページ上部へ